839: 名無しさん@おーぷん 20/05/17(日)17:27:03 ID:uD.vd.L1
二十代の頃の話。
長文失礼。


同じ職場にゲーム系の専門学校を卒業した先輩がいた。
それとは別に私はとあるジャンルのゲームのマニアで、それを知った先輩から
「一緒にゲームを作らないか」
と誘いが来た。

先輩は良く言えば “理論派”、悪く言えば “屁理屈” な人だったので躊躇したが、先輩が言うには
「自分はプログラミングができるが創作することが苦手な人間」
私は “創造するのは好きだがアウトプットが苦手な人間” だったので、
(互いのメリットデメリットを補い合える)
と思い、手を組むことを決めた。

だがここからが地獄の始まりだったのだ。
『先輩のお眼鏡にかなったものしかOKを出されない』地獄。




・今まで脳内にあった構想を伝えたら全て却下。
→ 「1から二人で作りたい。担当は違っても共有できるものがないと駄目だ」
・『じゃあ先輩もアイデアを出してください』
→ 「お前がシナリオメーカーだろ。世界観はお前が持ってないと駄目だ」
・『こういう名前の〇〇はどうでしょう』
→ 「わかり辛い。字だけで特徴がわかるようにしたい」
・『じゃあこういう名前はどうですか』
→ 「安直だな。もっと凝った名前にしてくれ」
・『こういうシステムを思いついたのですが 』
→ 「取ってつけたようなシステムだな。もっと練ってくれ」
・『こういうシステムはどうでしょう 』
→ 「プログラミング的に大変だから今回は見送りたい」
・『このシステムは独自性もあってプログラミングの負担にもならないです』
→ 「他のゲームにないだろうな」

その他にも『ゲームのシナリオや設定、キャラクター制作だけの参加だった』はずなのに、プログラミングを手伝わされたそうになったり。
バンド経験があるということで、音楽制作も担当させられそうになったり。
儲けの取り分の話をされたり。
創作意欲に幾ばくかの陰りが出てきていた。

そして上記の箇条書きの最後、
「他のゲームにないだろうな」
という先輩の “不必要な用心” が後に最終的な亀裂の引き金となった。
中盤から先輩の “妥協点” (この時点でクリエイティビティが死んでいたのを後から気付いた)を理解し、わかり易く且つ安直ではないアイデアを生み出せるようになってから、先輩の心に
『他のゲームのアイデアを盗んでるのはないか』
という心配と言う名の猜疑心が芽生え始めたのだと思う。
設定で面白いなと思うアイデアを出しても、
「〇〇と〇〇を足した感じだな」(←調べたら雰囲気しか似ていなかった)
一般名詞をそのまま使うだけで、
「その名前は〇〇(全く関係のない作品)で使われてる」
ちょっとでも気になるモーションがあると、
「この動きは〇〇(その作品以外にもよく見るモーション)とおなじだな」

決定的だったのが、制作から9ヶ月ほど経った時に自分たちが作ってたものと “根底の部分の独自のシステム” が丸被りな同人ゲームが制作発表された。
私と同じくらいそのジャンルのゲームが大好きな人なら灯台下暗しだったシステム。
「大手に先を越されたかー」
と落胆する私の前で先輩が怒気を含んで言い放った一言。
「お前このゲーム丸々パクってんじゃねーかよ!」

この一言から私の僅かながらあった創作意欲は完全になくなり、ゲーム制作辞退を申し出た。
恨み言や
「過去も別な人と同じようなことで頓挫した」
みたいなことも言われたが、聞く気もなかったので覚えていない。
その後、別件でその先輩が職場をやめられてしまったので今はもう何をしているのかもわからない。

私はその後、別の人から誘われ、先輩から全て却下されたアイデアを活かしながら皆で煮詰めて、遂に昨年、何とか作品として世に出すことが出来た。
この世界的な問題が収束したら、喜ばしいことに二本目も製作予定。

辞退してからしばらくアイデアが枯渇し、絞ろうとすると動悸がしてしまうという PTSD のような事になってしまったので、今思い返すとそうとう衝撃的だったのではないかと思う。


結論。
人と何かをやるときはその人の能力を理解し、その人を最大限尊重すること。
創作はその人の脳と心で創り出すものなので、創作物を依頼するときはその人のモチベーションを徒に下げてはいけない。



できない相談 piece of resistance